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伊藤仁の「王道思想

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【中图分类号】G44 【文献标识码】A 【文章编号】1009-5071(2012)04-0018-02

はじめに

江前期の儒学者伊藤仁(一六二七年~一七五年永四年~宝永二年名は、字は源佐、仁と号する。以下は仁という)は京都商家に生まれ、最初に朱子学に倒し、三十代半ばに朱子学から脱出し、朱熹らの後世儒者が中国古代の孔子?孟子思想への曲解を批判しながら、直接孔孟学の本来の意味を再することを唱えて自分なりの学を立した。その学派が「古学派と言われる。

仁は孔孟を人として尊していた。『と『孟子を非常に重し、「を「最上至宇宙第一(『孟字)と称する。さらに、『孟子を「孔の太宗?嫡派なり。(『孟子古)と高くする。その上で『古『孟子古『孟字などの著を著した。

周知のように、孟子の王道が孟子の思想の主要内容である。仁は一生仕官したことがなかったが、政治思想面では孟子の王道を受容するとともに理想的政治王道世界を立する。しかし、仁が孟子の学を受容する程で理解する「王道思想と孟子本来の王道思想はどのような相点があるのか、このような疑をもって仁の政治王道の独特な地を探したい。本稿は主に孟子の王道及び仁の理解する王道思想との比を通して仁の思想の独点を出そうとすることを目的として考察したい。

まず、孟子及びその思想について以下のように述べる。

1 孟子という人物とその思想

孟子(前372年?~前289年?)は中国国代における国の(在の山省城市)の人である。名はで、字は子または子ともいう。孟子は孔子のである子思に教えを受け、儒家の思想を身につけたとえられる。(①を参考する)また、儒学古典の中に特に重要された「四の一つである『孟子は孟子の唯一の著作とされる。以下は『孟子本文をみながら孟子の王道について考察する。

1.1 「王道の始めなり:梁王篇は『孟子七篇の首篇である。その第三章では「生をい死をして憾みなきは。王道の始めなり。(『孟子「梁王篇上②69)とある。「王道という言が最初に使われる。

1.2 「恒ければ、因りて恒心し:孟子は「民のごときは、即ち恒ければ、因りて恒心し。いやしくも恒心なければ、放辟邪侈、さざるなし。(同上)というように、人民の生活の安定をることの大切さを孟子はしている。

1.3 「仁政:『孟子「梁王篇の第五章では、「地、方百里にして以て王たるべし。王如し仁政を民に施し、刑を省き、税を薄くし、深く耕し易く耨り、壮者は暇日を以てその孝悌忠信を修め、入りては以てその父兄に事え、出でては以てその上に事えしめば、梃を制って以て秦?楚の甲?利兵をたしむべし。(同上77)とある。

孟子によれば、「仁政とは孟子の王道の主眼であると言えるだろう。

1.4 「民としみを同じくすればなり。:「今、王百姓としみを同じくせば、即ち王たらん(『孟子「梁王篇下)と孟子は言っている。つまり、民と一にしむということは王者が「王道を行う最も基本的内容であろう。

1.5 「民をしとし、社稷これに次ぎ、君をしとす。:「尽心篇下篇の第十四章では、孟子は「民をしとし、社稷これに次ぎ、君をしとす。というような民本思想が孟子の王道の核心思想であると考える。

1.6 王者と者の:孟子は王道を提唱するとともに、王道を行う王者を者と比しながら王道の必要性及び重要性をしている。以下は『孟子本文の中の王?のについてする。

「力をもって仁をる者はたり。は必ず大国を有つ。を以て仁を行う者は王たり。王は大を待たず。(「公丑上第三章)

とある。孟子のは、以下の三つの点にまとめる。

①「力と「の区:孟子によると、武力と道が王者と者の区の基とされる。孟子は武力の道を否定して仁の道の王道をく主している。

②「仁をると「仁を行うの区:者の合は、服した人々は表面上では者に服するが、には内心から者にして不してっているのではなく、自身の能力が不足するから服するしかない。

それに反して、王者の合は、人々は心の底から王者が行う政治にして足して喜んで王者に服する。道をもって政治を行う王者はその果として、「をもって人を服する者は、中心悦びてに服す。となる。

③「王は大を待たず。:王者の合、「は七十里をもってし、文王は百里をもってす。とある。逆に、者の合、自身の利益をって自国をくするように武力でをげて大国となる。

以上の六点は『孟子本文をんだ後、孟子の思想の一部を取り上げて考察してきた。

2 伊藤仁の王道

次は仁自身が「王道それ自体をどう考えていたのか。それについて、仁の理解する孟子の「王道に主眼をおき、以下の三つの点からめていきたい。

2.1 仁の理解する「王者の概念:「の学は王道を本とする。

「孟子意めて忠厚、其の学王道を以て主と、仁を以て宗を。人君にむるには、仁を以て先と、民を救ふを急と(③「孟子古336)という。

仁は仁のが王道を践する肝要なことであると主している。さらに、王者の位について、高熙卓が述べるように、「(仁は)王道政治の『王の概念を、『天下の位の意味ではなく、『仁政を行う有『の政治力の意味として捉え直している。ということである(④)。仁の言った「王者とは仁政を行う王者を指して、必ずしも当の在位した政者を特定的に指すものわけではないと言ってもよいのではないだろうか。

2.2 王者の:仁の著に言及する「王「王心などの概念は「王者自身の内在的なものではなくて、王者が百姓にする具体的な践を通して表されるものと言ってもよいのだろうか。その根としては、仁は「天下にするをり返しすることである。王者自身の内在的修についてほとんどじていない。「人を言いて心を言わず。(「孟字上「第4条)と仁はいた。また、「孟子に至って、多く心をく。しかれども亦みな仁の良心を指して言う。特に心をかず。(同上「心第1条)と言う。いて、「人の道は、彝(日常の道)をもって本となして、恩をもってびとすと述べる(同上第4条)。要するに、仁は王者自身の道修を全面的に信じることができない。彼の所「王者のとは王者自身の内在的道意上のではなくて、外在の意を持っている具体的行を通して「民を安んじるという天下への充するである。その点について仁の「孟字における「王霸の辨を注目してる。

2.3 王の辨:前にじた孟子の王道の中の「王者と者のという内容を比しながら、仁の王について、主に以下のように整理して述べる。

①民をう王者と民を治む者:仁は「けだし王者の民を治むるや、子をもって之をう。者の民を治むるや、民をもって之を治む。(「孟字下王第2条)という。この条目からみ取れることは、王道と道の区の基は「うによるかどうかということであろう。

②?と大?小の区:「王者はをもって本とし、しかもいまだかつて法くんばあらず。しかれども法とはそのをしくゆえんにして、その恃むところにあらざるなり。者は法をもって本として、をりてもって之を行う。しかれどもにその有ることあたはずといた。「と「法を基として王道と道を区する。それゆえに、仁は「けだし大は能く小を制し、小は大にすることあたわざるなりというを述べる。ここの「大は「王を指して、「小は「を指すということであろう。つまり、王者は者の力を抑えつかられるが、者は王者にえないということである。しかし、仁は孟子と少しって、孟子の「力をもって仁をる者という者にする度がそんなにしく非していないようであることを伺える。

3 伊藤仁と孟子の王道思想の相点

最後に、彼らの王道思想の相点について、上の二人の思想の内容によって以下のを得る。

仁は王者人の内在的な道を基とすることのではなく、外在の践成果を重んじる向がいと考える。孟子がする「人恒の言あり。皆曰く、『天下国家と、天下の本は国に在り、国の本は家にあり、家の本は身にありという王者の自身修の重要性が仁の念の中に薄らいてきたといえるのではないだろうか。

仁が王道をずるに「所王道とは、亦仁に由って行ふのみ。仁を外にして所王道という者し。(『孟子古)と述べるように、仁を重んじて仁の道を王の辨の判断基するが、その仁の字は孟子の原意ではないと考える。では、孟子の仁の本来の意味は何なのだろうか。

政治からみると、孟子曰く「人皆人に忍びざるの心あり。先王、人に忍びざるの心ありて、即ち人に忍びざるの政あり。人に忍びざるの心を以て、人に忍びざるの政を行なわば、天下を治むこと、之を掌上にらすべし。とある。孟子は「人に忍びざるの心をの心と言う。即ち、「仁心を言う。「人に忍びざるの政を即ち「仁政という。孟子の仁政の理的基は「人に忍びざるの心より「人に忍びざるの政へ充することであると思われる。心のきは孟子の思想の中の大切の部分であると考える。つまり、孟子の王道は王者が仁のを身にえて、そのをしての々の功となり、人民の幸福を与える果を生ずるべきであるものである。王者の自身のとそのによるよい果は方とも王道ののために欠かさずに大切なものであると述べられる。(⑤228を参考する)したがって、「孟子の性善のを唱へて、以て仁の心は即ち己れが固有なることを明す。という(⑤338)。

また孟子は「仁礼智は、外より我をるに非ざるなり。我固よりこれを有するなり、思わざるのみ。と主している。四端の心が独立の体のなかに存在するといた。一方、仁は「人はをんで心をばず。(『孟字上心1)と言って、ある程度では己の心の的なところに否定すると言えるのだろうか。また、仁は所「道の本体(仁礼智の)は「天下古今の(『孟字上仁礼智4)とく。さらに、「道とは遍く天下にするをもって言う。一人の有するところにあらず。性とは、もっぱら己に有するをもってして言う。天下のかぬるところにあらずという上に、「仁礼智の四者は、みな道の名にして、性の名にあらず。ということを主する。仁礼智などのは人に属するものではないとされて、充してそれを天下にするものであると主する。この点について、仁の主と孟子の学はやはり矛盾していようにえるのではないだろうか。これも孟子の学との本的な相点であると考える。

要するに、孟子は人の努力に力点を置くのにして、仁は天下に及ぶ他者に向けた践行に力点をおくことである。それで、仁の王道政治の具体的践面のが著であるというを得られる。それは仁の王道思想の独点の一つであると言えるのではないだろうか。

おわりに

本稿は主として仁の政治王道の特色を明らかにすることを出点として、古学者としての仁が理解する孟子思想と中国の古代の孟子の思想(主に王道)を比しながらにし、仁の王道思想の独点を出そうとしてきた。

参考文献

[1] 江隆.『子百家の事典.大修店,2007年5月1日

[2] 茂.『孟子.社学文,2004年9月10日

[3] 木村英一.『伊藤仁集.1970年1月25日

[4] 高熙卓.「伊藤仁の『王道.

[5] 狩野直.『孟子研究.みすず房,1977年3月1日